ある朝、彼女は4時半に目を覚ました。
自然と、目が開いた。
最近はアラームより早く起きることが増えた。
隣で寝ている娘の髪は、今日も王冠みたいに跳ねている。
それを見て、少し笑ってしまう。
気持ちよさそうな娘を起こさないように、そーっと布団を抜け出した。
朝は自分の時間――
自分の時間は、できる限りの家事を消化する途中で今日もタイムオーバー。
一息つく暇もなく、食器を片付け、朝食・お弁当・夕飯を準備して
洗濯を干して、畳んで、、、保育園の連絡帳を書いて・・・
5時50分、アレクサにリマインドされ、彼女は気持ちを切り替える。
さぁ、今日も一日が始まった。
なけなしの元気をかき集めて、ニコニコ笑顔でを娘を起こしに行こう!
「けっけ~、朝だよ~、起きて~~」「朝のぎゅーしようよ~」
■ 朝食は知育のチャンス(という名の自己満)
食卓に並んだ朝食を見て、ふと思いついてプチトマトを並べなおす。
「けっけ〜、ここに3つトマトあるよ。こっちに2つ足したら全部で何個かな?」
娘は指を折りながら、「ごー!!」と叫んだ。
「けっけ、天才じゃん!すごいすごい!」
彼女は大げさに褒める。
本当はあと10分で出発しないと遅刻だ。
でもそんな現実より、**“今この時間を逃したらもう戻ってこない”**という焦りの方が大きい。
■ 昼休み、あえて“耳を塞ぐ”
隣の部署の打合せスペース。
昼時にはランチテーブルになり、今日も華やかな声が聞こえる。
「うちはのびのび育児でさ〜」
「2歳だけど、YouTubeで勝手に学んでるよ(笑)」
「知育?うちは全然〜!ただ笑ってくれてるだけでOK!」
…聞こえてくるけど、頑なに聞こえないフリをする。
イヤホンの代わりに、パソコンを開いて仕事に集中する。
彼女には「ママ友」もいない。
というか、作り方が分からない。
怖いとすら思ってしまう自分がいる。
■ 保育園からの電話と、プリントを出すか問題
午後3時すぎ、スマホが震えた。
保育園からだった。
娘が熱を出したらしい。急いで迎えに行く。
仕事を巻き取って、社内チャットで状況を共有する。
そのとき、少し手が震えた。
周囲は「大丈夫?」と優しい。
でもどこかで「また?」と感じているような気がして、ビクビクする。
「誰かに迷惑をかけてないかな」
「これって、私がかつて嫌ってた“使えない人”じゃない?」
帰宅後、娘はケロッとしていた。
熱ももう下がって、いつも通りの元気さ。
だから迷う。
「こんな日くらいはプリント、やめておこうか?」
「でも元気だし…今日は軽くでも、やっておくか」
彼女は、“今を逃したくない”病にかかっている。
そして娘にまで強要してしまっているのかもしれない。
■ それでも娘は、彼女の“治療薬”
娘は発熱しても、いつも回復が早い。
本当にありがたい。助かる。
でも、だからこそ思ってしまう。
「もしかして、“もっとママといたい”って、
言えない代わりに発熱という形でSOS出してるのかな…?」
違うかもしれない。でも、そう思ってしまう。
そして彼女自身も、娘不足になると体調を崩す。
だから、そんな日は決めている。
嫌がられるまでくっついていよう。
むしろ今日は、知育より密着だ。
■ 夜の知育ごっこと絵本の幸福
夕食後、プリントを出すと娘が言った。
「けっけ、今日はおままごとの気分なの〜〜!!」
「え〜!?じゃあママが”宿題”やっちゃおうかな〜?」
「わかんな〜い、けっけ先生に教えてくれないかなぁ…」
完全にコントのテンションで盛り上げる。
すると娘はムクッと起きて鉛筆を手に取った。
彼女は、今日も泣かせずにプリントを終えた。
知育としては微妙でも、母のミッションとしては大成功。
その後、絵本を開く。
娘が指をさして、「これママ!これけっけ!」と話すたびに、
彼女は心の底から思う。
「ああ、こんな時間が一番幸せだな」
静かで、あたたかくて、何も証明しなくていい時間。
この絵本タイムだけが、彼女が肩の荷を下ろせる唯一の時間。
■ かっこいいママって、なんだっけ?
半年前、彼女は会社で女性初の課長になった。
評価されたのは嬉しかった。でも、それ以上に、背負った。
- 「子育て中でもやれる」ことを証明したい
- 「でももう少し、誰か助けてくれないかな」とも思ってる
本音を言えば、ちょっと甘えたい。
でも甘え方が分からない。
■ 信じてる。報われる未来を
彼女は、信じている。
確信なんてないけれど、それでも信じていたいと思ってる。
いつか娘に、こう言ってもらえる日が来ることを。
「かっこいいママの子で、よかった」
ただの言葉かもしれない。
社交辞令みたいに言われる日が来るのかもしれない。
でも、それでもいい。
彼女にとってそれは、どんな勲章より価値のある言葉だ。
その言葉にたどり着ける保証なんて、どこにもない。
今の毎日が、本当に意味のあるものかも分からない。
でも――
信じてないと、きっとどこかで折れてしまいそうになるから。
自分を支えているのは、報われる未来じゃなくて、
「報われると信じている今」なのだと、彼女はどこかで知っている。
■ でも、このままじゃダメだとも思ってる
娘がかわいすぎて、宝物すぎて、少しでも良い人生を与えたくて、
彼女は今日も“全力のママ”を続けてしまう。
けれど、その燃料は、無限じゃない。
「やらなかった後悔」は、たぶん一生引きずる。
それを避けたい一心で走り続けているけれど、
頑張りすぎて壊れたら、もう戻れない。
実は彼女には、ずっと憧れていた女性がいた。
いつも笑顔で、仕事も完璧で、プライベートも充実して、
優しくて、でもとってもかっこいい――
彼女が「こんなふうになりたい」と思っていた人。
でも、その人はある日、突然ぷつんと糸が切れた。
誰よりも“ちゃんと頑張ってた人”だったのに、
ある日を境に別人のようになってしまった。
あの出来事で、彼女は気づいた。
「人の心って、自分が思ってるより強くないのかもしれない」
「私は、無理を気合で塗りつぶすタイプだけど、それじゃいつか壊れるかもしれない」
もうどこにいるかも分からない、憧れの先輩を思い浮かべては、
彼女は“本当の強さ”の意味を、少しずつ考えるようになった。
■ だから、今日からは自分にだけは言っておく
ようやく仕事を終えパソコンの電源を落とした彼女は、
娘の寝息が静かに響く布団にそっと入り込む。
彼女は大きく深呼吸をした後に、そっとつぶやいた。
今日もおつかれさま、私。よく頑張ったよ。